宗祖、親鸞聖人は、承安三年四月一日(新暦一一七三年五月二十一日)に京都の日野の里にお生まれになり、わずか九歳で出家得度された後、二十年間にわたって比叡山で仏道修行を積まれました。
しかし、親鸞聖人は厳しい修行を積めば積むほど、自己のあさましい姿に気付き、悩まれました。そして自分の進むべき道を尋ねるため、聖徳太子にゆかりの深い六角堂にこもられ、九十五日目の明け方、夢のお告げにあい、吉水の法然聖人にお会いになりました。そして阿弥陀如来のご本願に出遇われ、その救いを信じて生きる「念仏の道」に入られました。ところが、法然聖人の説かれる念仏の教えが盛んになることを快く思わない比叡山や奈良の僧侶たちが、朝廷に念仏禁止の訴えを出したため、弾圧を受け、その結果、法然聖人は土佐(高知県)に、親鸞聖人は越後(新潟県)に流罪となられました。
越後での親鸞聖人は、「非僧非俗」の境地を自覚し、「愚禿」と名のられ、土地の人々と共に念仏の喜びを味わい、広めることのできることを喜ばれたのです。そして、この時期に恵信尼さまとご家庭を持たれたといわれています。四十二歳の時、越後をあとに関東へ移られ、二十年間にわたって常陸(茨城県)を中心に念仏を広められる傍ら、『教行信証』六巻を著されました。
この『教行信証』著述の年である元仁元(一二二四)年を真宗教団成立とする立教開宗の年と定めました。
関東で二十年間を過ごされた後、六十二〜三歳のころ、家族と共に京都に帰って来られました。京都では、専ら著述に励まれ、数多くの書物をご執筆になり、弘長二年十一月二十八日(新暦一二六三年一月十六日)九十年のご生涯をお念仏の内に静かに閉じられました。