年号 |
西暦 |
事項 |
承安3 |
1173 |
親鸞聖人、京都の日野の地にご誕生 |
養和元 |
1181 |
親鸞聖人、慈円について得度され、比叡山で修行 |
建仁元 |
1201 |
親鸞聖人、法然聖人の専修念仏に帰す |
元久2 |
1205 |
親鸞聖人、法然聖人から『選択集』を付属され、影像を図画する |
承元元 |
1207 |
親鸞聖人、承元の法難によって越後(新潟県)に流罪 |
建保2 |
1214 |
親鸞聖人、常陸(茨城県)へ入り関東を教化 |
元仁元 |
1224 |
親鸞聖人、このころ『教行信証』を撰述 |
嘉禎元 |
1235 |
親鸞聖人、このころ帰洛 |
宝治2 |
1248 |
親鸞聖人、『浄土和讃』『高僧和讃』を著す |
正嘉2 |
1258 |
親鸞聖人、『正像末和讃』を著す |
弘長2 |
1263 |
親鸞聖人、ご往生 |
文永9 |
1272 |
京都東山に大谷廟堂を建立 |
文永11 |
1274 |
覚信尼、大谷廟堂の留守職となる |
永仁2 |
1294 |
覚如上人、『報恩講式』を著す |
永仁3 |
1295 |
覚如上人、『親鸞伝絵』を著す |
元亨元 |
1321 |
初めて「本願寺」と公称 |
応永22 |
1415 |
蓮如上人、ご誕生 |
永享10 |
1438 |
存如上人、このころ両堂を整備 |
長禄元 |
1457 |
蓮如上人、本願寺第八代を継職 |
寛正2 |
1461 |
蓮如上人、『御文章』の述作を始める |
寛正6 |
1465 |
比叡山の衆徒、大谷本願寺を破却 |
文明3 |
1471 |
蓮如上人、吉崎(福井県)に坊舎を建立 |
文明5 |
1473 |
『正信偈・和讃』を開版 |
文明7 |
1475 |
蓮如上人、吉崎を退去 |
文明10 |
1478 |
蓮如上人、山科に本願寺を再興 |
明応5 |
1496 |
蓮如上人、大坂石山に坊舎を建立 |
明応8 |
1499 |
蓮如上人、ご往生 |
天文元 |
1532 |
六角定頼・法華宗徒等の山科本願寺焼き討ちにより、寺基を大坂石山に移す |
元亀元 |
1570 |
織田信長、大坂石山本願寺を攻め石山戦争始まる |
天正8 |
1580 |
信長と講和し、紀州(和歌山県)鷺森へ寺基を移す |
天正11 |
1583 |
和泉(大阪府)貝塚へ寺基を移す |
天正13 |
1585 |
大坂天満へ寺基を移す |
天正19 |
1591 |
京都堀川七条へ寺基を移す |
慶長元 |
1596 |
地震により御影堂や諸堂舎が倒壊 |
元和3 |
1617 |
本願寺両堂焼失 |
寛永13 |
1636 |
御影堂再建 |
寛永16 |
1639 |
学寮(現・龍谷大学)落成 |
明暦元 |
1655 |
承応の教学論争終わる |
宝暦10 |
1760 |
阿弥陀堂が再建 |
明和2 |
1765 |
『真宗法要』完成 |
明和4 |
1767 |
明和の法論終わる |
文化3 |
1806 |
幕府より三業惑乱裁断される |
明治14 |
1881 |
『本願寺派』を公称・宗会を開設 |
大正12 |
1923 |
立教開宗700年記念法要を執行 |
昭和23 |
1948 |
蓮如上人450回遠忌法要を執行 |
昭和36 |
1961 |
親鸞聖人700回大遠忌法要を執行 |
昭和48 |
1973 |
親鸞聖人ご生誕800年・立教開宗750年慶讃法要を執行 |
昭和52 |
1977 |
即如門主、法統を継承 |
昭和55 |
1980 |
即如門主伝灯奉告法要を執行 |
昭和60 |
1985 |
阿弥陀堂昭和修復完成慶讃法要を執行 |
平成3 |
1991 |
顕如上人400回忌法要・本願寺寺基京都移転400年法要を執行 |
平成10 |
1998 |
蓮如上人500回遠忌法要を執行 |
平成11 |
1999 |
御影堂平成大修復起工 |
平成20 |
2008 |
御影堂平成大修復完成 |
平成21 |
2009 |
御影堂平成大修復完成慶讃法要を執行(5/22~26) |
平成23 |
2011 |
親鸞聖人750回大遠忌法要を執行(4/9~H24/1/16) |
平成26 |
2014 |
専如門主、法統を継承 |
平成28 |
2016 |
第25代 専如門主 伝灯奉告法要を執行(H28/10/1~H29/5/31) |