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スポーツ
 

2015年3月25日「選抜優勝 3冠目指す」〜北陸高〜

 宗門校の北陸高校(藤原有仁校長、福井市)の男子ハンドボール部が、3月25日から愛知県で行われた第38回全国高校選抜大会で優勝した。3年ぶり4回目の優勝(写真上)。ただ今回は、大会運営側のミスで、決勝戦が途中で打ち切りとなり、浦和学院高校(埼玉)との両校優勝という前代未聞の結果に。準々決勝の判定に疑義があったためで、閉会式も行われず、表彰も優勝旗もメダルもないまま大会を終えた。
 選手たちにとっては、順調に勝ち進み、決勝戦もリードしていただけに、割り切れない悔しい思いが残ったが、悔しさを胸に持ちながらも、気持ち新たに練習を重ね、インターハイ、国体の3冠を狙っている(同下)。
(本願寺新報 5月1日号より転載)

 

2015年3月8日「ハワイのEKIDEN」

 ハワイ開教区(エリック松本開教総長)は「ハワイ社会や地域の人に本願寺をもっと知ってもらおう」と3月8日、米国ハワイ州ホノルル市で行われた第3回ホノルル・レインボー駅伝2015に参加した。
 同開教区の参加は昨年に続き2回目。今回初参加のJr.YBA(仏教青年会)チームと、開教使チーム、宗門校のパシフィックブディストアカデミー(ホノルル市)チームが出場(写真)。1人が5㌔ずつ走り、5人でタスキをつないだ。
 1 2 5 チームが参加する中、開教使チームは昨年の成績を上回る27位と健闘。アンカーを務めた開教使の富岡智史さんは「駅伝を通して参加者の心もタスキでつながり、レインボーのように民族や世代を超えた交流の輪が広がった。また参加したい」と感想を語っていた。
(本願寺新報 4月1日号より転載)

 

2015年3月1日「〝主将失格〟乗り越えて」

京都市・龍谷大付属平安高校2年 江口 時矢さん

第87回選抜高校野球大会に出場する、宗門校の龍谷大付属平安高校野球部の主将。〝陽〟の個性で、チームを引っ張る

 第87回選抜高校野球大会に出場する、宗門校の龍谷大付属平安高校野球部の主将。1、2年生74人を束ねる。
 昨年秋に河合泰聖前主将からバトンを受け継いだが、自身の不調とチームがまとまらない状態が続き、近畿大会敗退翌日に原田英彦監督から自身を含む4人での主将〝日替わり制〟が言い渡され、実質の「主将失格」を告げられた。「予感はあったが、ショックでずっと泣いていた」と話す。
 しかし、心配した河合前主将からのメールに元気をもらい奮起。「主将はどうあるべきか」を考え直し、アドバイスされた「目配り・気配り・率先・話しかける」の実践を心に決めた。つらい練習中でも率先して笑顔で周りの選手に声をかけ、「一歩離れたことで見えたこともある」と、気の抜けたプレーには大声で注意し、チームを盛り上げようと努力。原田監督への年賀状には「もう一度主将をさせてください」と書き込み、やる気の姿勢を見せ続け、主将に返り咲いた。
 自身の甲子園出場は初。憧れてきた舞台に立つうれしさや〝平安のキャプテン〟としての誇り、そしてプレッシャーも感じる中で、開会式では昨年優勝校の主将として、紫紺の優勝旗を持ち先頭で入場する。注目度が高く連覇を期待する声もあるが、「自分たちにはまだ課題が多い。まずは初戦に向けて、意識を高く指摘し合い、切磋琢磨し、レベルを高めていきたい」と気を引き締める。
 「元気が良くて、よくしゃべる。ムードメーカー」とみんなが口をそろえる。苦難を乗り越え、力強さを増した主将が〝陽〟の個性でチームをエネルギッシュに引っ張るに違いない。
(本願寺新報 3月1日号より転載)

行事
 

2015年3月27日「第1期生たち」〜龍谷大〜

 宗門校の龍谷大学が新制大学になった昭和24年に入学した〝1期生〟で組織する「一期会」が3月27日、京都市下京区の大宮学舎本館で最後の同窓会を開いた。1期生と同伴者ら30人が出席して物故者追悼法要を営み、赤松徹眞学長が挨拶した(写真)。
 龍谷大学は戦後の学制改革を経て昭和24年に新制大学に。当時は文学部のみの単科で、1期生として約240人が学んだ。卒業後は半世紀以上にわたり同窓の交流を続けてきたが、80代半ばと高齢になり毎年開いてきた集いも継続が困難になったため、区切りを付けることにした。
 幹事を務めた聖護院門主の宮城泰年さん(83)は「戦後の貧しい時代、田舎から届いた食料を分け合うなどしながら研鑽を積んだ学友は家族のような存在。できれば米寿の祝いを共にしたい」と話していた。
(本願寺新報 4月10日号より転載)

 

2015年3月20日「平等への挑戦」〜社会貢献活動を問う(30)〜

JIPPOバザーに参加して
京都女子大学法学部3年 寺西名子


組織母体から得られる信用

 1月10日から3日間、本願寺の御正忌報恩講法要にあわせ阿弥陀堂前の白洲で行われたJIPPOバザーに、2日間ボランティアとして参加させていただきました。
 この活動に参加して私がまず感じたことは、浄土真宗本願寺派という組織母体から得られる、JIPPOへの信用の大きさです。
 「NPO、NGOで活動している」と言った場合、他人から「その組織は何をしているのか? 信用できる組織なのか?」と疑われることが多くあります。しかし、「浄土真宗本願寺派が母体となっている組織」と述べた場合、「西本願寺が背景にあるならば信用できる」と疑われることがなくなるのです。バザーの品物が非常に多く集まっていましたが、この中には、西本願寺から得られる信用によって集まったものもあったと思います。
 どのように活動していくにしても、その団体に対する信用は必須です。信用が得られやすい立場にあることは、より活動しやすくなるということになります。逆に、活動しやすくするには、すでにある信用を借り受ける立場を得ることが、一つの方法として挙げられます。浄土真宗の理念をもとに、浄土真宗本願寺派の下で活動できる良さを実感しました。
 今回のバザーは、東京電力福島第1原子力発電所事故の被災地支援としてJIPPOが取り組む「菜の花プロジェクト」の活動資金作りとして行われましたが、隣のテントでは東日本大震災の支援活動を続けている本願寺派職員の方たちが、「岩手・宮城・福島3県の物産展」「被災地の声(被災地・支援活動の実情)」「東日本大震災パネル展」を行っていました。
 震災が起きて、今年で4年になります。4年前は、テレビや新聞などで震災について報道されていましたが、今は話題からなくなり、人の記憶から忘れられつつあると感じます。しかし、それは仕方のないことだとも思います。問題なのは、二度と話題になることがなく、二度と思い出されなくなることではないでしょうか。私自身が震災のことを思い、そして皆さんにも思い出してもらう、そんな支援活動が、これからは必要になると思いました。
 今回、バザーや隣のテントでのパネル展示、体験談の語りによって、来ていただいた皆さんにあらためて被災地へと思いを寄せていただけたと思っています。少しでもその役に立てたことを、私はうれしく思います。
(本願寺新報 3月20日号より転載)

 

2015年3月14日「卒業を機縁に」〜京女大生、本山で帰敬式〜

 宗門校の学生・生徒の卒業参拝で連日にぎわった本山。
 3月14日には、翌日に卒業式を控えた京都女子大学(林忠行学長、京都市東山区)の学生800人が御影堂に参拝し、宗門校での学びを修めた喜びを御真影の前で奉告した。
 参拝式後に帰敬式が行われ387人が受式。御導師のご門主が外陣後方まで何列にも連なった学生の間を進みながら一人ひとりに剃刀を当てられた。この後のお言葉では、受式を機縁にあらためてみ教えを聞き、仏前に手を合わせ感謝の日々を送るよう願われた。
 今春の宗門校卒業生は約1万9000人。卒業参拝を機縁に多くの若者が帰敬式を受け、門徒としての新たな一歩を踏み出した。
(本願寺新報 4月1日号より転載)

 

2015年3月10日「山下 海」〜相愛高卒業参拝で帰敬式を受けた〜

 「相愛を卒業するご縁に」と帰敬式を受けた。おかみそりをいただいた瞬間、「大好きだった相愛での時間がいよいよ終わっちゃうんだという寂しさと一緒に、学校で毎日聞いた仏教の言葉がいくつも頭に浮かんできた」という。「自分では熱心に聞いてこなかったと自覚してたのに」とはにかむ笑顔が、晴れやかに映る。
 10歳から続けるフィギュアスケートの練習場に近いからと、相愛中学に入学して6年。平日は毎朝2時間、登校前にリンクで練習してから学校に通った。支えてくれた家族、理解者である先生や友人への感謝とともに「この学校じゃなければ続けられなかった」という理由がもう一つある。「1日、1回を大切に精いっぱい過ごす、相愛での学びが競技に向き合う姿勢を養ってくれた」。将来の夢はフィギュアの指導者。この姿勢を大切に伝えたいと考えている。
(本願寺新報 3月10日号より転載)

 

2015年3月10日「[九州真宗のあゆみ]探る」〜筑紫女学園大が福岡でシンポ〜

 宗門校の筑紫女学園大学人間文化研究所は先ごろ、シンポジウム「戦国期から近世初頭にかけての九州真宗のあゆみ—萬行寺史料を中心に」を福岡市博多区の萬行寺で開き、150人が参加した。
 記念講演と発表、シンポジウムのほか、織田信長との戦いに顕如上人が応援要請したことが記される「顕如消息(直状)」(1574年推定)、本願寺の東西分派の後に出された「黒田長政書状」(1607年推定)など未公開の同寺所蔵史料の展示、説明が注目を浴びた。
 同大学は2006年度に「浄土真宗文化財調査プロジェクト」を発足。浄土真宗の寺院が所蔵する文化財の調査研究と、九州における浄土真宗の伝播史や真宗寺院の文化的役割の解明を行っている。14年にはその研究報告として『九州真宗の源流と水脈』(法蔵館)を刊行している。
 中川正法教授は「浄土真宗の九州での伝播は、各寺院の御影、本尊など地道な調査でしか立証されない。その調査の協力をお願いしたい」と呼びかけている。
(本願寺新報 3月10日号より転載)

 

2015年3月8日「《考える》を大切にする」

福井市・北陸高校3年 湯場 康平さん

宗門校の北陸高校で有志による「東北復興支援プロジェクトチーム」を結成。「震災を語り継ごう」と若者の立場で発信。

 昨年、北陸高校の生徒有志10人で「東北復興支援プロジェクトチーム」を結成。福井市内で「震災の記憶を語り継ごう」と若者や市民に向けたイベントを2度開いた。
 2回目となった3月8日には、同校講堂でパネル討論会を開催。福井県内に避難する福島県双葉町の女性や復興支援団体の代表から、被災者の心情や子どもたちの心のケアについて聞き、「高校生に何ができるか」と生徒が考える場を作った。
 震災を見つめ直すきっかけは、アメリカ人教師が語った米国での震災報道の話。日本のメディアでは流れないような津波の生々しい映像や原発事故の様子が報じられ、今もなお海外から注目を集めていると知った。一方、「自分の中で思いは薄れつつあった」。言いようのない焦りとともに、「未来を担う若者が考えなければ」と使命感のようなものが胸に迫ってきた。
 プロジェクトチームを結成し、震災を知ろうと仲間と勉強会を重ねた。特に議論が白熱したのは、原発の是非。意見は割れた。「福井にも原発がある。福島の問題は他人事じゃない」「ただ〝原発反対〟と言うだけでは無責任」…。答えは出せなくても、それぞれが熱い思いを抱えていた。そしてひとつの結論を出した。「今は問題に向き合い、『考えること』を大切にしよう」。
 「将来の見通しも大切だが、今助けてほしいのだ」という避難女性の訴えは悲痛だった。イベントの協賛を募る手紙を何百通と出したが反響は乏しく、「世間は厳しい」と思った。どれも、自ら考えて行動しなければわからなかったことだ。
 しかし、「この学びを次に生かす」と前を向いている。経験は力になる。
(本願寺新報 4月10日号より転載)

 

2015年3月2日「小学校から1日も…」

 宗門校の筑紫女学園高校(小柳和孝校長、福岡市)は卒業式の前日となる3月2日、出席皆勤賞授与式を行った。その中で、中高一貫コースで6年間皆勤の上、小学校も6年間皆勤という「12年間一日も学校を休まず、無遅刻、無早退」の大久優海さん(写真左)と山田実来さん(同右)が「12カ年皆勤者」として表彰された。
 式は講堂で行われ、登壇した2人に小柳校長が「健康に留意し12カ年間皆勤されました。その努力を賞します」と賞状と記念メダルを贈った。
 大久さんは「ほとんど親のおかげです。毎日遅刻しないように起こしてくれたことや、健康な生活習慣に導いてくれました」と笑顔で話した。山田さんは「勉強や学園の行事に全力で関わることができ、クラスの友人との強い絆が育まれた。みんなの応援があったから」と感謝の言葉を話した。
(本願寺新報 3月20日号より転載)

 

2015年3月1日「平等への挑戦」〜社会貢献活動を問う(28)〜

野宿者を訪問し、対話する(6)
龍谷大学国際文化学部3年 平野 碧


これからの日本社会考えたい

 昨年9月に初めて野宿者支援に参加しました。「野宿者は怖い」というイメージが強く、参加することを知った友人からも「大丈夫?」と心配の声がありました。少し躊躇しながら参加しましたが、実際に野宿者の方に会うと、私のイメージとは全然違っていました。
 この日は、YさんとTさんのお二人にお話を聞くことができました。Yさんは優しく穏やかな方で、Tさんは政治に詳しく自分の意見をしっかり持っておられました。このお二人のお話を聞くなかで、Yさんの言葉に衝撃を受けたことを覚えています。
 もうすぐ寒くなるから、その前には住む場所を何とか確保したいと思ったYさんは、住み込みの仕事を探しに行ったとのことでした。でも無理だったそうです。「面接のときに書類に住所を書かないといけなかったから帰ってきてしまった。僕はどうしても橋の下とは書けなかった」と、顔を歪めながら何度もつぶやかれました。
 私は、Yさんが必死で語られる姿を見ながら、面接でどれほど悔しい思いをされたのだろうかと感じました。ただ頷いて聞くことしかできなかった私は、あの時どのような言葉をかけることができただろうかと今でも考えます。同行されたJIPPOの中村尚司先生は「この住所を使ってください」と、JIPPOの住所をYさんに渡されました。涙を流し、感謝されるYさんの姿を今でも忘れることができません。
 野宿者の方が暴行や放火などの被害を受ける「野宿者襲撃」についての話にも驚きました。「毎日生きるのに必死」と話される中に、襲撃の恐怖も隠れているのだと気付きました。「野宿者襲撃」だけでなく、「貧困ビジネス」や「空き缶回収禁止条例」など、私の知らなかったことが多く、それらのお話を聞いて日本の社会情勢に不安を感じ、自分がどれほど日本の社会に対し無関心であったのかを知り、恥ずかしくなりました。もっと社会について学び、これからの日本社会を自分なりによく考えていきたいと思いました。
 12月にもう一度活動に参加した時、Yさんは風邪をひいて寝ておられました。夕方4時過ぎ、陽は陰り、河川敷はじっと立っていられないほどの寒さでした。コンクリートの上の、真夜中のテントの中はどんなに寒いだろうと想像するだけでつらかったです。次回の活動で、野宿者の方の元気な姿を見ることができることを願っています。
(本願寺新報 3月1日号より転載)

 

2015年3月1日「薄野 奈々」〜福島でボランティアした筑紫女学園大生〜

 初めて訪れた被災地。原発事故の影響が色濃い福島県浪江町の光景に言葉を失った。「原発の是非や、身の回りの日常に無関心だった自分の姿勢を深く考えさせられた。電気がある当たり前に疑問も抱かなかった自分が恥ずかしくなった」。
 ボランティアのきっかけは大学の実習で訪れた児童養護施設での気付き。「うまく人間関係を作れない子や相手にきつく当たる子は、自分を認めてほしい欲求を抱え、口に出せないもどかしさやつらさを持っていると教わった。そして、その子たちを包み込むように接する施設の先生の姿に、悲しみに寄り添う大切さを学んだ。あの先生たちのように声に出せない人に寄り添えればと思った」。
 大学で教員資格を取得したが夢は別にある。「レジャーランドのパフォーマー。常に元気を与えられる人でいたいから」と笑顔。大学4年。
(本願寺新報 3月1日号より転載)

 

2015年3月1日「長宗 博之」〜慶華奨学生に選ばれた大学院生〜

 本願寺派教学助成財団の慶華奨学生に選ばれた。
 龍谷大学大学院文学研究科真宗学専攻博士課程3年生。親鸞聖人が七高僧の一人と仰がれた中国の曇鸞大師を研究する。「み教えを継承してほしいという山内善三郎さんのご遺志を無駄にしないように、奨学金で台湾や中国で出版される研究書を求めて研究を深めたい」と語る。
 山口県周南市・大安寺の衆徒。「昨年に亡くなった祖父や、住職である父の勧めで龍谷大に進んだ。大学の大先輩でもある祖父は生前、戦時中に学んだ思い出をよく話してくれた。学徒出陣した同級生が戦死したこと、下宿のおばさんが〝仏教を勉強するように〟と食糧難の中を無理をして食事を出してくれたこと…。振り返れば、その一言一言が学ぶことのできる尊さを伝えてくれていたのだと思う。感謝を忘れず学問に励みたい」。27歳。
(本願寺新報 3月1日号より転載)

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