龍谷総合学園 学生達の声

2015年度

 
自分らしく生きる

東京・千代田女学園高校3年
十九浦彩香
 

 中学校から6年間仏教を学び、親鸞聖人の教えを受けた中で、「ありのままを受け入れる」という教えに深い感銘を受けました。

 私たちは、さまざまな思い込みや価値観で世界をみています。そのため、他人の目を気にして、自分と他人とを常に比較して物事を考えていました。しかし、親鸞聖人の教えを受けたことで、「ありのままを受け入れる」ことの素晴らしさに気付かされました。赤い花には赤い花にしかないよいところと悪いところがあります。そして私にも、私にしかないよいところと悪いところがあるはず。だからこそ、他人と比較するのではなく、自分のよいところは自分なりに活かし、悪いところは直していきたいと思います。

 私は、何かのご縁で仏教の教えを受けられたことに、本当に感謝しています。全ての人・物は、その人・物にしかない独自性があります。私は、ありのままの自分を受け入れ、どんなときも私らしく生きていきたいです。

 
日々、報恩感謝の心で

石川・尾山台高校1年
杉森麻莉亜
 

 入学してもうすぐ一年が経とうとしています。日々充溢した生活を送ることができていることへの感謝の気持ちで胸がいっぱいになっています。

 毎朝、講堂に向かって「今日一日、報恩感謝の心で過ごします」とみんなで唱和、合掌礼拝で一日がスタートします。この言葉を毎日言うことで、日々当たり前のようにあること、例えば勉強に励むための恵まれた環境があることや部活動に全力を注ぐための環境が整っていること、友人や先生、家族と共に毎日を笑顔で過ごすことができていることへの有り難さを、身にしみて感じる日々です。普段から何不自由なく生活できていますが、それは自分の知らないところで、多くの人が自分のために力を尽くしてくださっているからだと最近になって知ることができました。

 たくさんの恩恵を受けていることに感謝し、宗門校に学んで感じる「幸せ」を今後より大きなものとできるよう、私は仲間と共に、将来の夢に向かって、精いっぱい努力して前進していこうと思います。

 
「心からの感謝」を学ぶ

岡山・岡山龍谷高校3年
廣瀬夕陽
 

 私が宗門校である岡山龍谷高校で学んでよかったと思うことは、「感謝」について考える機会がたくさんあったことです。

 入学してすぐの頃、「感謝することは簡単なことだ」と考えていました。「ありがとう」の一言で感謝することになると思っていたからです。しかし、「ありがとう」は「有ることが難しい」ことに感謝する言葉で、「お陰様」は陰からも支えていただいていることに感謝する言葉だと、授業や行事の中で学び、感謝はそんなに簡単なことではないと感じました。

 言葉に出して感謝の気持ちを伝えることはとても難しく、日常的に伝えるのはなおさら難しいです。ですが、宗門校で過ごし、行事の意味を考えたりすることを通して、「心からの感謝」を伝えてこられたと思います。

 感謝は、一生を通して大切なこと。ですから、他校よりも「感謝」の大切さを考えることができ、「感謝」を言葉にする機会が多かった宗門校で3年間学べてよかったと思います。高校3年間で学び感じてきたことを、大切にしていきたいです。

 
生の有り難さ

京都・京都女子高校3年
太田梨保
 

 私は、京都女子高校に入学して初めて浄土真宗の教えに触れました。3年間の学びの中で一番強く感じたのは、「今生きていられることの有り難さ」です。

 親鸞聖人が出家される時詠まれた、「命というのは儚いものであるからこそ、今を大切に生きるべきだ」という教えを受け、今生きているのは当たり前ではないことや、生かされて生きていることに気がつきました。

 自己中心的な考えから抜け出し、周りへの感謝を常に心掛けるようになり、生や命について深く考える機会が増えました。

 校内の宗教行事だけでなく、龍谷アドバンストプロジェクトにも参加させていただき、他校との交流の中で表現力や協調性が身に付きました。春からは大学に進学します。高校で学んだことを糧に、「食で人々の健康を守ることのできる管理栄養士」を目指して精進していきます。

 これからも、生の有り難さを忘れずに、人とのつながりを大切にしていきたいです。

 
学校で学んだ新しい世界観

福岡・筑紫女学園高校3年
松本一葉
 

 筑紫女学園に入学して仏教を学び、その中で私の心に一番残ったのは、お釈迦さまや親鸞聖人の生き方です。

 お釈迦さまは、老病死という人生の苦悩の解決のために家族との幸せを捨てて出家し悟りを開かれました。そして親鸞聖人も、自分と同じ悩みを持つ人々のために生涯をかけて伝道を続けられました。私はそんな生き方ができる人もいるのかと驚き、何度生まれ変わってもそんな風には生きられないだろうと思いました。

 でも、私にも、お釈迦さまや親鸞聖人のみ教えを生きる指標にすることはできます。「すべてのものは縁によって起こり、多くのいのちの関わりの中で生かされて生きている」という仏教の教えを心がけて日常をみると、自分だけの価値観だけではない、もっと広い世界を感じることができ、さらに、筑女の校訓にある感恩の心を実感することができます。

 私は、この学校で学んだ新しい世界観をもって、これからも一日一日を大切に過ごしていきたいです。

 
合掌…意識と行動の変化

北海道・双葉高校教諭(保健体育)
山田寛
 

 私は、9年前から双葉高等学校に勤務しています。今では浄土真宗はもちろん、宗教というものが身近に感じられるようになりましたが、それまでの生活では親戚や知人の葬儀、法要などで手を合わす程度でした。そのため、食事の際も「いただきます」こそ言っていましたが、命を頂くことに対する合掌のことは全く頭にありませんでした。

 双葉高校で働き始めて、私自身の意識と行動が次第に変化していき、合掌することが当たり前になっていったことを覚えています。

 そのような中、私が指導しているバスケットボール部の初めての合宿の際、宿舎で部員たちとそろって食事を取ったときのことが今でも印象に残っています。何も言われずとも、キャプテンから「合掌」の号令がかかり、そろって合掌して「いただきます」をしていました。後からキャプテンに、なぜ合掌するのかをあえて聞いてみると、「命を頂くので」と返ってきました。同じ宿舎に宿泊していた他校の部員たちは合掌の号令に少し驚いていましたが、日頃の教えが行動に出るのだとあらためて実感した一瞬でした。驚きとともに、この学校で働かせていただいている喜びと誇りを感じました。


2014年度

 
人としての生き方に関心

北海道・旭川龍谷高校3年
富成 玲央
 

 高校に入学して、それまで関心のなかった仏教について触れる機会が多くなりました。
 仏教研究部に所属し、京都・本願寺での宗教教育研修会に参加する機会をいただき、同じみ教えに学ぶ仲間が全国にこんなにも多いのだと実感することができました。宗門校の仲間との「ご縁」を通じて人間としてのあり方を学ぶことができ、人としての生き方について関心を深めることができました。
 2年間続けてきた生徒会活動では自分の苦手なことにチャレンジする精神を学びました。特に学校祭での経験は、人前で話すことが苦手であった私が、「人前に出てもあがらない私」へと克服してくれるものでした。
 さらに生徒会活動を通じて「みんなのために」縁の下の力となることの素晴らしさを学ぶことができました。み教えのもとで学んだ高校生活は私にとって大変有意義でした。
 春から龍谷大学に進学します。これからも「報恩感謝」の精神を心に刻み、み教えのもと学んでいきます。
 
印象に残る「ご縁」の考え方

千葉・国府台女子学院高等部3年
大瀧美歩乃
 

 私は小学部から12年間、仏教を学んできました。その中で一番印象に残っているのは、「ご縁」という考え方です。
 自分一人だけの力で生きていける人間はおらず、いつも周りに支えられている、だから周りとのつながりを大切にしようという教えは、少なからず私に影響を与えてきました。友達の立場や状況を考えることと、相手の気持ちを思いやることを心がけることで、楽しい学生生活を過ごすことができました。
 春から医学部へ進学し、医師への第一歩を踏み出します。夢へと少し近づき、うれしく思う一方で、本当に自分が医師となれるのか、不安な気持ちもあります。
 患者さんは医師のおかげで元気を取り戻すことができますが、医師は患者さんのおかげで医師として存在することができます。患者さんとの出会いも、一つの「ご縁」だと考え、一人ひとりと真摯に向き合い、この「ご縁」を大切にしていきたいと思います。
 
支えられ、生かされている

岐阜・岐阜聖徳学園高校3年
岩田 健吾
 

 私は、小学校から高校まで岐阜聖徳学園で過ごしてきました。そのおかげで、人とかかわる時は誰にでも平等に、分け隔てなく相手を敬い接すること、また相手の立場に立って考え、行動をすることや言葉遣いの大切さを身に付けることができました。
 小、中学校では毎月の「ご命日法要」で、高校では宗教の授業で、仏教について学んできました。その中で、すべての事柄はつながり合っているということを学びました。私がここに生きているのは、多くの人に支えられて生かされているのだということに気づかせてもらい、そう感じることができました。
 これらのことを忘れずに、これから出会うであろう多くの人たちにも平等に敬い接していきたいです。私は、宗門校に通えて本当によかったと思っています。
 大学でも、仏教について関心を持ち、より深く理解するようにしていきたいです。そして、将来、社会に出て活躍するための糧、また力として備えられるように勉強していきたいです。
 
「当たり前ではない」ことの気付き

佐賀・龍谷高校3年
平木 顕
 

 私が通っている龍谷高校は浄土真宗の教えを建学の精神にしている宗門校です。
 私は3年間の高校生活を通して、特にいのちの大切さや人に感謝することなど、普段当たり前と感じて生活をしていたことは、実は当たり前ではなかったということに気付き、いろいろなことをあらためて深く考えられるようになりました。また、朝の参拝や報恩の集いという宗教行事では、お経をおつとめし、法話などを聞かせてもらいました。法話は、難しい話ではありましたが、いのちの大切さや日々のことを見つめ直す、とても素晴らしい機会でした。
 私は龍谷高校で勉強ができ、ここに入学していなければ学べなかったであろうことがたくさん学べたことは、これからの自分の人生の中で必ず役に立っていくと思います。これからも感謝の気持ちを忘れずにいたいです。
 
最初は戸惑い、自然と合掌へ

兵庫・神戸龍谷高校2年
岡田 亘起
 

 神戸龍谷高校に入学するまで宗教には関心がなく、神社とお寺の違いすらわからなかった私ですが、学校生活の中で宗教に深く親しむようになりました。
 学校では朝と帰りの挨拶時に合掌します。最初は戸惑いましたが、すぐに自然と手を合わせるようになりました。週に一度の礼拝や宗教の授業をはじめ、降誕会、追悼会、成道会などの宗教行事があります。今では生徒会役員としてこの行事の準備から運営まで携わっています。
 宗教行事の法話で、「私が今使っているマイクにも〝いのち〟はある」とおっしゃった先生がおられます。私はそれを聞いて、すべてのものに〝いのち〟があると見る、仏教の優しいまなざしに感動しました。このような考え方は、この学校に通わなければ知ることがなかったと思います。
 この作文を書くに当たって、あらためて神戸龍谷のよさを実感しました。残り1年となった学校生活の中で、より一層宗教行事に意欲的に参加し、校訓「和顔愛語」を身に付けたいと思っています。
 
「人は、出会うべき人と出会う」

広島・広島音楽高校2年
岡田 咲姫
 

 私は広島音楽高校に入学して、「人との出会い」について見方が変わりました。
 今まで、何気なく出会ってきた人たちがたくさんいます。宗教を学んで、今まで何気なく出会ってきた人たちみんなが、私にとって必要な存在だったと思えるようになりました。
 「人は、出会うべき人と出会う」。この言葉は本当だなと思います。生きている上でたくさんの人と出会います。その人に出会い、良いことも悪いことも、どちらのことがあったとしても、それはすべて自分にとって必要なことだったのです。出会わなければよかった人などいないのだと思えるようになりました。
 もしこの高校に入学していなければ、このようなことを考えることはなかったと思います。宗門校で、宗教について学び、たくさんのことを考えることができてよかったです。
 
「教える」ことは「学ぶ」こと

福井・北陸高校教諭(理科)
中村 浩人
 

 本校に奉職させていただいて早18年。最初は学校行事が仏式で行われるたびに、戸惑っていました。花まつり、降誕会、報恩講…どれも私には経験のないことだったのです。幼い頃から実家の法事には参っていたはずなのに、何も聞いていなかったと恥じ入るほかありません。
 そんな私もやがて学級担任をすることになり、最初に受け持ったクラスは中学1年生でした。だぶだぶの制服に身を包んだ彼らに、お念珠の持ち方、合掌礼拝の作法を教えて入学式に臨みました。
 行事のたびに、「真宗宗歌」「さんだんのうた」「恩徳讃」など数々の仏教讃歌を歌います。生徒たちが心を込めて歌えるように歌詞の意味を教えたくて、校内の多くの先生方に教えを請いました。生徒たちに「教える」ということは、私自身にとってまさに「学ぶ」ことの連続でした。
 これからも日々の教育活動が建学の精神を体現したものであるよう、生徒や先生方と共に学び続けていきたいと考えています。

2013年度

 
学びのすべてを校歌に味わう

兵庫・須磨ノ浦女子高校3年
長岡 里子
 

 須磨ノ浦女子高校に入学し、宗教について多くを学びました。
 月に2回の礼拝のほか、花まつりや成道会、涅槃会などの大礼拝があります。礼拝では、さまざまな先生方が法話をしてくださり、 両親や周りの人々への感謝の気持ち、生まれてきた意義と使命などを教えていただきました。
 私は、その礼拝や学校行事の度に歌う歌が好きで、2年生の時に聖歌隊に参加しました。みんなで心を合わせて歌っている時は優しい気持ちになります。とりわけ校歌が好きで、口ずさむと生かされている喜びを感じることができます。優しい気持ちで過ごすことの大切さ、命あるものへのいたわり、 生きるための目的と使命感など、教えていただいたことすべてが校歌に含まれているように思えます。
 私はこの校歌と3年間の礼拝行事での学びの日々を忘れず、これからも精いっぱい、一度しかない自分の人生を生きていきたいです。
 
命支えてくれるすべてに感謝

富山・龍谷富山高校3年
窪田 一彦
 

 私は、宗門校に入学し、 命の尊さを学ぶことができたと思います。
 生きているものに限らず、食べ物や衣服などになり、私の命を支えてくれているものに対しても、 感謝することが大切だということがわかりました。
 私は今まで、感謝とは困っている時に助けてもらったらするものだと考えていました。食べ物が動物などの命だということをわかっていても、感謝をしたことは一度もありませんでした。また、食べることは生きるために必要なことで、食べ物を口に入れることは当たり前だと思っていました。
 しかし、宗教の授業や先生方のお話を通して、生き物が姿を変えて私の命を支えてくれていることを知り、命は自分だけのものではないことを知ることができました。
 また、西本願寺での宗祖降誕会などの行事に参加させていただき、親鸞聖人を身近に感じました。 宗門校で学んだことと、出会った友人との思い出を忘れず、これからも頑張りたいです。
 
身近になった仏教

佐賀・敬徳高校3年
西山 高広
 

 敬徳高校への入学が決まり、体育館に初めて入ったときのことで す。ステージの中央に大きな仏壇があったのを不思議に思い、驚いたものでした。その後、幾度となく目にすることとなり、3年が過ぎようとしている今、その存在や手を合わせ礼拝することが当たり前のように思えてきました。
 毎月執り行われる御命日法要では、近隣のお寺からご講師を招き、この仏壇の前でたくさんの印象深い法話をいただきました。入学式で後輩を迎えたのも、また卒業式で多くの先輩を見送ってきたのもこの仏壇の前でした。
 もうすぐ私も本校の仏壇の前で 卒業式を迎えようとしています。中学校のときは考えも及ばなかった「仏教」との出会いの中で、その存在が実はとても身近なものであり、人生の指針として欠かせないものだということに気付くことができました。敬徳高校で学ぶことができ本当によかったです。
 
私の考え方変えた「中道」の教え

岐阜・岐阜聖徳学園高校2年
渡邊 彩乃
 

 私は高校入学前、宗教や仏教など全く興味もなく、 意識して生活したことがありませんでした。でも、岐阜聖徳学園高校に入学して、 宗教の授業や仏教行事を通じていろいろ学んでいく上で、生きていることの素晴らしさや、食べ物の有り難さを学び、日々実感することが多くなりました。
 授業では釈尊の生涯を学びましたが、その中でも「中道の教え」 は私の考え方を変えるきっかけとなりました。私は習い事で全国大会を目指しています。でも負けず嫌いな私は、とにかく限界まで自分を追い込み、何としてでも目標を達成しようと必死で頑張りすぎていました。
 そこで、頑張りすぎず、遊びすぎず、バランスを保つことが大事という中道の教えを学んで、自分の追いつめすぎたやり方が少し間違っていたことに気付かされました。「やる時は全力で頑張り、しっかり休む」。私は、宗教の授業を通じて自分の考え方を見直すことができました。今後夢に向かって進んでいく上で、大切なことを学ぶことができた気がします。
 ですから、授業や仏教行事で学んだことを今後の生活の中で生かしていきたいと思います。そして宗門校で宗教が学べ、私の考えを改めるきっかけをくださった学校に入学できて本当に良かったですし、感謝しています。夢に向かって頑張ります。
 
生かされている実感

広島・進徳女子高校3年
永岡 美優
 

 私は今まで、「人は一度罪を犯したら、何をしてもゆるされないものだ」と考えていました。
 しかし、宗門校で学んで大きく 変わりました。それは、人はむし ろ罪を犯してしか生きられない存 在なのだと気付かされたことです。例えば、生きる上で重要な「食べる」ということ。何かを食べるということは、同時に何かの命を奪っているとも言えます。私たちは幼い時から、「どんな命でも大切にしなさい」と教えられてきました。では、食べるということは罪なのでしょうか。
 「食事のことば」には、自分がいただいた多くのいのちと恵みによって生かされているという、感謝と慚愧の心が表されています。 この言葉を学んだ時、生きることは何かの犠牲なしには成り立たず、私一人の力で生きているのではなかった、目には見えない多くの人や物のおかげで私は生かされていたのだ、と初めて実感することができました。
 こうして、いただいた多くのいのちのためにも、この感謝と慚愧の心を忘れず、ますます精進して有意義な人生を送ろうと思えるようになりました。
 
学園モットーを糧に

北海道・札幌龍谷学園高校3年
西井 誠純
 

 私は、札幌龍谷学園高校で学べたことにとても誇りを持っています。そして、今までお世話になった先生方にとても感謝しています。
 本校には他校で経験できない宗門校ならではの事もありました。それは、仏教の授業や「花まつり・宗祖降誕会」「報恩講」といった浄土真宗のみ教えに携われたことです。そして、私が本校で学んだ最も重要なことは「生かされて生きる」の学園モットーです。
 これは、仏教で大事な考え方の一つだと私は思います。私たちは自分で生きているのではなく、日々さまざまなものに生かされて生きているのだということです。家族や友人、先生方はもちろんのこと、人に限らず、身の回りの物や、食べ物などにも生かされており、私たちはそれを自覚し感謝することがとても大切です。
 私は一人の人間としても、僧侶としても、本校から大きなものを得ることができました。今後は龍谷大学に進学して真宗学を学ばせていただきますが、「生かされて生きる」ということは、どこに行っても変わることはありません。私は本校で学んだことを糧に、今後の生活に活いかしていきたいです。
 
教育は不思議なご縁

京都・龍谷大学付属平安高校 国語科教諭
松田 清吉郎
 

 おかげさまでご縁をいただき31年。私たちを生かしている大いなるはたらき (大いなるいのち)に目ざめ、今をいきいきと、そしてしみじみと生きていくことの大切さを教えていただきました。他の人では果たすことのできない「人生の役割」を自覚させていただきました。「平安」に、生徒の皆さんにお育ていただきました。有り難いことです。
 教育とは出会い。教師と生徒とのめぐり会いは偶然のようでありながら、必然的なものを感じさせます。しかも、やり直しは許されません。思えば、不思議なご縁です。いきおい、教師は独善になり、鈍感になりやすいといいます。感謝の 気持ちを忘れず、謙虚に、人生を確かなものにしていきたいものです。
 出会いを大切にし、出会いの意味をあらためて確かめていきたいものです。そして、目の前の皆さんが、できるだけ自分の能力を伸ばして、つつましく、豊かに、この人生を生きていってくれるようにと願うばかりです。

2012年度

 
すべての人に感謝

福岡・敬愛高校3年
酒井 聖子
 

 3年間、敬愛高校で仏教を学んできました。私は仏教の授業が好きでした。
 仏教の授業では、いのちのことや生きるということについて、たくさん考えることができました。そこにあることが当たり前と思い、日々の生活の中で忘れてしまっている大切なことに気付かされたり、今までの自分の考え方と違う見方や考え方を教わったり。仏教の教えを聞かせていただくたびに、私の中に新しい世界が広がっていきました。そして、家族や周りの友達、私を支えてくれているすべての人への感謝の気持ちが大きくなりました。
 宗門校だからこそ経験できた仏教の授業や行事を通し、お釈迦さまや親鸞さまのみ教えに出あえたことは、本当に有り難いことであったと思います。
 敬愛高校での学びは、私の財産です。これからの人生、どんなときも、宗門校で学んだことを大切にしながら、生かされているいのちを精いっぱい生きていきたいと思います。
 
「縁起」と「感謝の心」学ぶ

北海道・双葉高校3年
千葉 結菜
 

 私が3年間宗教を学んだ中で最も印象に残っているのは、宗教の時間に仏教の「縁起」という教えや「感謝の心」を持つことの大切さを学んだことです。
私たちはつい自分一人の力で生きているのだと考えがちです。確かに私たちは代わりたくても代わることのできない「孤独」な存在です。しかし、私たちは自分一人の力で生きているわけではありません。無数のいのちの結びつきである「縁」の中に「生かされている」存在なのです。私はこの当たり前のことを宗教の時間で再確認しました。
 いま世界では、国家や民族、宗教などの違いによって悲惨な争いが続いています。これを解決していく知恵こそが、仏教の共生思想の教えであり、お互いが助けあって社会を築きあげていくことの大切さであることを学びました。
 また、縁あって双葉高校に入学して、仏教と親鸞聖人の教えにふれることができたこと、素晴らしい友人に出会えたことに感謝したいです。
 
自分の行動を振り返る

ハワイ・パシフィック・ブディスト・アカデミー3年
ケイト スクラバスィ
 

 パシフィック・ブディスト・アカデミー(PBA)で、私を変えてくれたことは、黙想することです。週に2回、黙想する授業があり、授業の合間にも折々に行われています。
 私はキリスト教系の学校からPBAに転校してきたので、最初の頃は、自分の行動について考えるというこの習慣に、なかなかなじめず、そうすることの意味がほとんどわかりませんでした。
 当時、私は自分と他の生徒との間にトラブルが生じても、その原因の一端が自分自身を理解していない私にあるということを認めようとはしませんでした。
 例えば、私がクラスメートに嫌な態度をとったとします。そういう場合、PBAと他の公立学校やキリスト教系の学校では、結末がまったく異なります。PBAでは、自分の行動について黙想するよう言われます。そうすると、私は相手の生徒のことをより深く理解するようになれるのです。
 PBAで2年間を過ごし、クラスメートとの関係はずっと良くなりました。私にとって黙想の時間は、自分の行動を振り返り、それが他の人たちにどんな影響を与えるかを考える大切な時間です。
 
「仏教を学ぶのに最適」

京都・龍谷大学付属平安高校2年
山本 顕生
 

 和歌山県の寺院に生まれ、仏教や親鸞聖人について詳しく知りたくて、宗門校の龍谷大学付属平安高校へ進学しようと思いました。 高校は、西本願寺や龍谷大学のすぐそばにあり、仏教を学ぶために最適です。花まつりや宗祖降誕会、報恩講などの宗教行事は、他の学校では体験できないことを体験できるのも魅力です。宗教行事は、全生徒が一緒に手を合わせ、大きな声でおつとめをします。たくさんの人の法話を聞くことができる大切な機会です。
 また、週に一度の仏参では、みんなの前で調声をします。とても緊張しますが、大勢の人の前で調声をすることなどなかったので、とてもよい経験となりました。
 授業では、仏教史や真宗史など専門的に学んでいます。内容はとても難しいのですが、大切なことばかりなので、ビデオを見たり、図書館で調べたりして理解を深めています。
 これからも宗門校の生徒の一人として、勉学に励み、学んできたことを生かし、世のため人のために生きていければいいなと思っています。
 
「当たり前」は「有り難い」

富山・高岡龍谷高校3年
松野 久美
 

 高岡龍谷高校への入学が決まった頃、私は宗門校についてあまり深く考えてはいませんでした。そのため、入学式で聖典と念珠をいただいたり、月に一度、宗教行事が行われていることなどを知り、驚きの連続でした。
 初めは慣れないことに戸惑ってばかりでしたが、他の学校では学ぶことのできない「生や死」「いのちの大切さ」について、今まで考えたことがなかったことも、宗教行事や人間学の授業を通して学んでいるのだと、次第に思えるようになりました。
 あらゆる生きもののいのちが大切だということは漠然とわかっているつもりでしたが、仏教の教えやさまざまな方のご法話などを通して、当たり前だと考えていることが実は有り難いことだと気付かされ、自分自身を見つめることができました。かけがえのない「いのち」について、深く考える時間が持てたのは、とても貴重なことでした。3年間で学んだことを、これからの人生でもいかしていきたいと思います。
 
宗門関係学校の良さ

福岡・筑紫女学園高校 社会科教諭
松永 知恵子
 

 宗門校の教員として働き、宗門校の良さを実感する時は、いのちについて考える機会が多くあることです。
 筑紫女学園では、各学年、毎週1回朝に礼拝を行います。また、毎月1回、親鸞聖人の月命日(16日)に近い日を「感謝日」として行事をしています。
 これらの行事では、お経を唱え、聖歌を歌い、そして校長先生や宗教科の先生方などから法話をいただきます。法話の内容はさまざまですが、共通しているところは、私たちの身近な話題からいのちの尊さや他者への思いやりの大切さを結びつけてお話ししてくださるところです。
 仏教の思想と結びつけてお話ししてくださるのはもちろんですが、植物好きの校長先生のお花に関する話題は、仏教的ないのちのとらえ方に通じるところがあります。
 さまざまな立場の先生方から、さまざまな観点でいのちについてのお話を聞くことにより、いのちについて考える機会に恵まれる環境にあるのは、宗門校ならではの良いところだと思っています。

2011年度

 
「絆」の大切さ学ぶ

北海道・双葉高校3年
鈴木 結花
 

 私は、双葉高校であらためて「人は支え合って生きている」という「絆」が大切であることを学びました。
 もちろん、他人に頼りすぎて迷惑や負担を掛けることは自分のためにもならないと思います。必要最小限のことは、自立して取り組まなければならないと思います。
 昨年3月11日に起こった東日本大震災で、たくさんの命が失われました。命は突然、このような形でいつ「死」を迎えるかも知れないということを思い知らされました。募金など、できることは何かを考えましたが、今自分を支えてくれている多くのつながり「絆」に感謝し、今までは身近にある小さなことも躊躇し行動していなかった自分に気が付きました。
 自分の周りにいる人に対して、少しの勇気と温かい心をもって接していくことが、自分にできる大切なことではないかと思いました。今ある絆を一日一日大切に生きていきたいと思います。

 
他者のことを考える

千葉・国府台女子学院高等部3年
山下 実紗
 

 私は、仏教と出会って以前より他者のことをよく考えるようになったと思う。自分の周りの人が、どのようにすれば喜んでくれ、悲しんでいる時には、どうすれば安心してくれるのか。そのことを考えるようになったきっかけは、仏教の授業で「抜苦与楽」という言葉に出会ってからだ。
 「慈悲の心を持っていれば、あなたが隣にいるだけで、相手が安心して苦しみをなくすことができる」と、仏教の授業で習った。また、慈悲を現代の言葉で表すと「共感力」に通じるようだ。共に心から喜び、共に悲しむこと。これは、人と人とが接する上でとても大切なことの一つであると思う。そのことが、かけがえのないものだと気付いた時、それを自然にしてくれる周りの人に対して感謝の気持ちが持て、また自分がどれだけの人に支えられているのかということに気が付くことができた。
 私は仏教を通じて、すべてのことは当たり前ではなく、多くのご縁によって、私自身も今ここにいることができているということを学んだ。これからもその気持ちを忘れず、日々一つ一つを大切に過ごそうと思う。
 
「生かされて生きている」

福岡・筑紫女学園高校3年
佐藤 文
 

 筑紫女学園に入学して6年が経とうとしています。それまで宗教というものを意識して生活する機会がなかった私にとって、宗門校である筑紫女学園での生活は大変新鮮でした。週に一度の講堂礼拝をはじめ、月に一度の感謝日、ほかにも花まつりや成道会、涅槃会など、数々の仏教行事を通して阿弥陀さまの前で合掌し、礼拝してきました。
 「生かされて生きている」。何度となくご法話や仏教の時間に出会うこの言葉は、聞くたびに、その意味の奥深さが少しずつわかるようになり、また、今まで形式的に言っていた「いただきます」や「ごちそうさまでした」という言葉にも重みを感じるようになりました。
 6年間宗門校で過ごして、普段から「当たり前」だと思っていることが、実はすごく「有り難い」ことなのだと気付くことができました。これからは、この筑紫女学園で学んだ6年間と仏さまの教えを胸に、人間的に素敵な人に成長していきたいと思っています。
 
命について考える機会に

岡山・岡山龍谷高校2年
松浦 梨沙
 

 私が宗門校に学んでよかったことは、年に数回、宗教行事があることです。行事ごとに来てくださる先生のお話はとても興味深く、毎回楽しみにしています。
 一番印象に残っているのは、報恩講の時に来てくださった先生が自分の体験を交えながら、命の大切さについて話してくださったことです。体験された先生ならではのお話で、とても心にしみて、あらためて命について考える機会になりました。
 そしてもう一つ、教科としての宗教も私には新鮮です。日本史や世界史でも宗教について勉強しますが、宗教の時間では、また違った角度から勉強しています。これは、他の学校にはない、特別なものだと思います。
 このようにさまざまな機会を与えてもらっている中で、少しでも多くのことを学び自分のものにして、生かしていきたいと思います。
 
私の一生の財産

福井・北陸高校2年
田中 枝美流
 

 私は、宗門校である北陸学園に入学できたことを誇りに思っています。
 東日本大震災でたくさんの方が被災されました。「私ができることは何だろう」と考えていく中で、この災害を通して学んだことを歌にしたいと思い、曲を作りました。被災された方を、普段通りに暮らしている私がなぐさめることは失礼だと思ったからです。
 歌詞を考えていく中で浮かんできたのは、いつもご法話や授業で聞いている「生かされて生きているいのち」という言葉でした。私が歌を通して伝えたい気持ちは、北陸学園での学びを通して知らず知らずのうちに覚えていた言葉でした。
 つらいことに出会った時、校舎に掲示してある仏教関連の言葉を読んで気持ちが楽になることも多いです。何年経っても、人の心に優しく寄り添うこの学校で学べた仏教は、私の一生の財産になると思っています。
 
仏教の学校に誇りを持つ

広島・崇徳高校3年
三村 真也
 

 仏教の学校であり、男子校ということで、入学当初の印象はあまりいいものではありませんでした。しかし、通っているうちに男子校も好きになり、仏参も習慣付き、「宗教」の授業で「お釈迦さま」「親鸞聖人」について学んでいくうちに、仏教に興味を持つようになりました。部活も楽しく、文武両道ができ、結果から言うと崇徳学園という宗門校で学ぶことができてよかったです。
 もし、この学園に入学していなかったら、こんなに「生」や「死」、「いのち」について考えることはなかったと思います。考えることにより、多くのいのちをいただき、多くのおかげにより生かされていたことに気付くことができました。
 今では高校名を尋ねられた時には、堂々と「崇徳学園」と、誇りを持って答えられます。そしてこれから先、この学園で学んだことが生かされる時が来るかもしれません。その時は、「思いやりの心」「健康・誠実・精進・感謝」を忘れずに一生懸命に学んだことを発揮したいです。
 最後に、本当に崇徳学園で学ぶことができてよかったです。
 
宗教を身近に感じる

大阪・相愛高校3年
井上 さやか
 

 相愛学園に入学してから3年が経ちました。入学するまでは宗教というものにあまり関心がない私でしたが、毎日行われる朝夕の礼拝や、毎月行われる法要などを通して、少しずつですが宗教というものに興味を持ち、身近に感じるようになりました。
 その中でも特にご本山での親鸞聖人の750回大遠忌法要に参拝させていただいたことは、宗教とは何かということだけではなく、日頃忘れがちだった「生かされているいのち」について気付かされる大切な機会でした。というのも、この法要の前日に、私の先祖も本願寺の大谷本廟に納骨しているということを祖母から聞き、今まで以上に宗教というものを身近に感じました。また同時に、多くの先祖が今の私にいのちをつなげてくださったことに対する感謝の気持ちが湧いてきて、このいのちを大切にしていかなければと強く感じました。
 学園で学び、このような貴重な体験を通して気付かされたことを心に持ち続けて、これからも感謝の気持ちをもって生きていきたいです。

2010年度

  人とつながっている私

岐阜・岐阜聖徳学園大学附属高校2年
吉田 萌

私は今まで、宗教を意識して生活したことがありませんでした。例えば「いただきます」「ごちそうさま」と手を合わせても、それは形式的に行っていただけです。どんな意味があるのか、なぜ必要なのか考えませんでした。
しかし、岐阜聖徳学園大学附属高校に入学して、ご命日法要などのお話を聞いて、当たり前に行っていることの意味や生活する態度などについても考えるようになりました。
私が学校の宗教行事で学んだことは、今の自分が生きていることが、多くの人や物のおかげだということです。毎月の宗教行事で、先生からさまざまなお話を聞きました。そのお話を通して、人や物とつながっている今の自分の存在、そして、もらったから返すだけではない感謝の意味が、これからの自分を創っていくのに大切だと考えるようになりました。
たまたまではありましたが、宗門校に入学して学んだことの喜びを感じることができるようになりました。

  仏教に彩られた出会い

兵庫・神戸龍谷高校2年
井川 翔吾

宗教というものに関心のなかった私にとって、神戸龍谷高校での日々は、仏教に彩られた新たな出会いの連続です。
例えば、朝礼の合掌です。手と手を合わせるという行為に最初は違和感を覚えました。また、毎週講堂に全校生徒が集う礼拝では、阿弥陀さまの前で合掌し礼拝することに何の意味があるのか疑問も感じました。
しかし、宗教の授業や学校行事でお話を聞く中で、合掌や礼拝には、感謝することで自分というものを確認する意味があるのではないかと思うようになったのです。
また、本願寺を参拝したときには、その大きさと歴史に圧倒されると同時に、あることに気付きました。私たちは学校行事として参拝しているのに、周囲を見渡すと、とても多くの人々が自らの意志で参拝されているのです。仏教がこれほどまでに人々に必要とされているのだと実感する瞬間でした。
仏教の奥深さに興味を持つようになった私は、宗門校で学べることが喜びとなりました。この学校で、勉強はもちろん人間として成長できるよう頑張りたいと思っています。
  「幸せだなあ」と感じる

佐賀・龍谷高校3年
山郫 康彬

私が龍谷高校で学んでよかったと思うことは、毎日の生活の中で「幸せだなあ」と感じられる人間になれたことです。特に「幸せだなあ」と思うことは人との出会いです。
私の周りには私を支えてくださる多くの人がいます。友人や先生そして家族など、私を励まし、諭すことで「私」という人間を作ってくださいました。
もし、そのうちの一人でも出会えなかったら、今のこの私はありません。まるで偶然のような出会いに、私は「幸せだなあ」と感じるのです。
そして、私がこれから生きていく中で、さらに多くの人との出会いがあると思います。だから次は、その人のために、あるいは社会のために、私はどんな貢献ができるのだろうかということを考えながら生きていきたいと思います。
私がこれまでの出会いに「幸せだなあ」と感じているように、これから私と出会う人に「幸せだなあ」と思っていただける人間になりたいです。
  人の支えになれるように

広島・広島音楽高校1年
瀬戸 菜々恵

広島音楽高校に入学して、私は変わりました。中学では人間関係で悩み、毎日がつらく、何も手に付かない状態でした。
それが、今では多くの友人に囲まれ、充実した学校生活を送っています。勉強にも意欲的に取り組むことができ、試験ではトップの成績を取ることができました。このことは消極的だった私に自信を与えてくれました。
そして、その自信が、絶対に思い出したくないと否定していた中学時代を見つめ直し、自分にも反省すべき点があったのではないかと考えるきっかけになりました。このように変われたのは、家族はもちろん、周りの友達や先輩、そして先生方が支えてくださったからだと心から感謝しています。
私はこの高校で、人とのつながりの大切さを学び、成長できました。だから今度は、私自身が人の支えになれるように、思いやりの気持ちを持って、日々頑張っていきたいです。
  「生かされて生きる」に共感

石川・尾山台高校3年
池田 晃平

尾山台高校に入学してからもう3年がたとうとしています。宗門校と聞いて最初はどんな高校なのかと気になりましたが、それは入学してからすぐにわかりました。
入学後、新入生が仏教精神を学ぶために行われている宗教研修という行事で、私はとても貴重な体験をすることができました。ほかにも毎日、朝礼と終礼の際に講堂に向かい合掌礼拝をしています。このようなことは、宗門校ならではの体験だと思いました。
そして、一番印象的なのが、尾山台高校は「心の学園」ということです。私はこの学校に入学して感謝をすることがとても大切だと感じたことが多くあります。学校創設者の石原堅正先生のお言葉にも「生かされて生きているのであります」という言葉があり、私はとても共感しました。
このように宗門校だからこそ学べることや考えられることがあり、今私はこの高校を選んでとてもよかったと思っています。
  「宗教とは?」今も問い学ぶ

京都・龍谷大学付属平安高校2年
嶋本 弘鄹

「宗教とは何か」。
この問いは平安中学校に入学した直後、最初の「宗教」の授業で配られたプリントに書かれていました。そして、今なお私は問われ続けています。  
私の家は寺で、私自身、得度し僧侶です。宗教と深くかかわっていますが、あらためて問われると、深く考えなくてはならない問いです。  
この問いに出あってはや5年。宗教行事や授業、毎週の仏参、学校生活や家での暮らしの中で多くのことを学ばせていただきました。まだまだこの問いに対する明確な答えはありません。  
宗教の根源ともいえる心のあり方と、それがいかに私たちの生活と結びついているか。その心のあり方とは、生きとし生けるすべてのものを慈しむ心、ありのままをすべて受け入れる心。自分自身に溺れず、周りに気配りし、素直に生きることだと思います。  
私が学んだことは、きわめて当たり前のことだと思います。しかし、この当たり前のことを当たり前にできることこそが最も美しいのです。この美しい生き方こそ、宗教に対する心のあり方だと学びました。  
10代のこの時期にここまで深く学ばせていただいたことに感謝し、宗門校で学んだことを誇りに、強く明るく歩んでいきたいと思います。
  聖歌隊で宗教行事に参加

兵庫・須磨ノ浦女子高校3年
山下 千夏子

今まで宗教というものにあまりなじみがなかったので、この学校での生活は初めてのことが多く、ただただ驚くばかりでした。  
しかし、2年生の時に聖歌隊として宗教行事などで活動することが多くなり、少しずつ宗教というものが身近な存在として感じられるようになっていきました。  
印象に残っていることは、成道会の時に「奉讃文」の朗読を担当したことです。たいへん緊張しましたが、とてもよい経験をさせてもらいました。  
それから、尚風館研修でのことです。尚風館研修とは、クラスごとに1泊2日で学校の施設に泊まり込む研修です。クラスでの反省会や協力し合いながらいろんなことに取り組め、交友が深まり、とてもよい思い出になりました。  
今、卒業を目前に少し寂しい気もしますが、人生でこのような経験ができたのも何かの縁だと思います。今までかかわった人たち、この学校で出会った人たちに感謝するとともにこれからの自分に生かしていきたいと思います。